包丁を持って追いかけてくる母。それを見て笑う毒祖母。

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【毒家族・毒親育ち体験談】
小学高学年にもなると母の毒親っぷりはどんどん増していた。
毎日毎日、暴力と暴言を浴びていた幼少期の私は心の中にぽっかりと穴が開いてるのを感じていた。
私のお父さんとは私が3歳の頃離婚し、再婚を繰り返す母。
ただただお母さんからの愛が欲しかった。
そんな私がお母さんに構ってほしくて
「お母さんはみいのこと嫌いなんでしょ?死んだ方がいいんでしょ?」
と泣いたことがある。
「そんなことないよ。お母さんはみいのことが
好きだよ。何でそんなこと言うの?」
って言葉を少しだけ期待していた。
そんな期待はよそにお母さんは無言でキッチンに行き、ナイフを手にして、私のところに来た。

「そうだよ。死んでほしいよ。腹出してよ。」

冷たい眼差しでそう言いながらナイフを私の体に向けてきた。

母は本当に私に死んでほしいんだ。本当に私が邪魔なんだな。

この時に改めて母の気持ちを再確認した。
ショックを受ける間も無く、怖くて走って逃げた私を殺したいのか痛めつけたいのか、追いかけ回してくる母。

アパートの2階に住んでいた私はベランダに行き着いて、ナイフを持った母が少しずつこちらに近づいて来るのが怖くて飛び降りた。
下の階には祖母と祖母の交際相手が住んでいて、その祖母の交際相手が騒動に気付き、飛び降りた私をキャッチした。

この騒動で下の階に住む祖母と祖母の交際相手にも気付かれたのでダメ元で祖母に
「お母さんに包丁を持って追いかけられたの。刺されそうになったの。」
と、助けを求めたが、鼻で笑われたのをはっきり覚えている。

当時、アルチュー、鬱病だった母はよくみんなの前で自殺未遂をして注目を浴びるのが好きだった。
1人でいるときは絶対にやらないが、私や祖母がいるとよくリスカをしようとしたり、焼酎をストレートで1ボトル飲み干そうとしたり、
私や祖母に止めてもらうことに快楽を感じているように見えた。
そんな母はベランダからも飛び降りようとしたことがあるが、怖くて出来ずに失敗していた。
それを私がしてしまったから飛び降りた私に冷たい目を向け、
「何!?カッコイイとでも思ってるの?」
と一言。
母がやるときとは違い、誰からも心配する言葉は皆無だった。

いつも祖母は、私が母親に髪の毛を引っ張られ、蹴飛ばされて、私が防衛本能から母親を突き飛ばすとそこだけを私に叱る。
「親に手をあげるなんて!この親不孝者目が!!」
なのにいつも私のことは守ってくれなかった。

こんな毒祖母が数年後に母親が体を壊し、
要介護生活になったときに、
「なんのためにお前は生まれたの?親の面倒を見るためでしょ!?」

と毎日毎日何件も電話をかけて、子供を産んだばかりの私を参らせるんだから、うちの毒祖母の神経は真底理解できない。

この騒動で確実に子供だった私の心の中にある穴は更に広がって、苦しいくらいに悲しくて、眠りにつくまで一人で泣いた。

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